歴代作品

初代
髙麗左衛門
道忠 / 李敬
~寛永二十
筆洗茶碗 銘 張良
歪みに歪んだ沓形の茶碗。「張良」の銘も沓形であることに因んでいます。
高台は十字に切られており、やはり強く歪められています。形状のみならず、ところどころに小石が埋め込まれている等の点においても、強い作為性、創造性を感じさせる茶碗です。

初代
髙麗左衛門
道忠 / 李敬
~寛永二十
粉引茶碗 銘 李華
この時代の萩のもう一つの典型、粉引の茶碗。
「張良」とは打って変わって均整の取れた風情ですが、正面の箆目や、高台に強く残された手跡からは、やはり作者の意思や創造性、またそれを強く求める時代性が感じられます。

二世
助八
忠李
慶長一九~寛文八
四方茶碗
口縁を方形に強く歪めた茶碗。
高台はどっしりとして、「盤石」の名もその様子に因んだものと思われます。

三世
新兵衛
忠順
慶安元~享保一四
割俵茶碗
俵型に成形したのち、半分に割って高台を付けた割俵形の茶碗。
古い萩焼にしばしば見られる形ですが、時代が少々下ったせいか、比較的均整な作のように感じられます。ただし、土は比較的荒く、古萩の風情を感じさせます。

四世
新兵衛
忠方
天和三~寛延元
呉器茶碗
古萩の時代から、現代も用いる大道土へと、利用する土が移行した時代です。
ただしこの茶碗は、その過渡期なのか、現代の萩焼の土とは異なる風情に感じさせます。
形状も歪みを持たせず、高台の削りも非常に素直な作りです。

五世
助八
忠達
享保七~明和六
呉器茶碗
この時代、利用する土は既に大道土へ完全に移行したようで、現代の萩焼と近い焼き色になっています。
高台は高く、1箇所割られていますが、荒々しさを感じない、素直な様子の茶碗です。

六世
新兵衛
忠清
元文四~享和三
独楽茶碗
「独楽型」という独特な形状の茶碗。
この形状に合わせてか、高台は1箇所丸く割られ、釉薬の施し方にも少し遊びが見受けられます。
古萩の時代から離れ、より洗練の方向性を増しているように感じられる茶碗です。

七世
助八
忠之
安永三~文政七
平茶碗
七世は平茶碗の作例が非常に多く、用いられている土も、多くは砂を除いた姫土です。時代の要請として、きれい目なものを求める流れがあったのかもしれません。

八世
髙麗左衛門
忠陶(玩土斎・松翁)
寛政三~明治一〇
唐人笛茶碗
高台裏に、八十歳のときにこれを製作した旨の釘彫が残されています。
逆算すると明治三年頃の作となりますが、時代がまさに大きく変わろうとする刹那、胸中思うところがあって作った実験作であったのかもしれません。
深さのある特異な形状で、表面に施された三島手の紋様は面ごとに異なるパターンが施されています。

九世
髙麗左衛門
道輔(韓岳)
嘉永二~大正一〇
筆洗茶碗
きめ細かい姫土で作られた、口縁に切れ込みのある小服の筆洗茶碗。胴の正面には軽く飾りの箆目が施されています。
作られた年代こそ不明ですが、明治以後最初の当主である、九世の想いを伺えるような茶碗です。

十世
髙麗左衛門
秀輔(韓峯)
明治二三~昭和三三
刷毛目茶碗 銘 立田
十世の中心的な作例というわけではありませんが、このような雪のように白く化粧を施した作を十世はいくつか残しています。
「立田」の銘の示すように、その白の中から垣間見える紅葉色が印象的な茶碗です。

十一世
髙麗左衛門
信夫(韓峯)
明治四五~昭和五六
井戸茶碗
十一世は井戸茶碗を得意とし、作例も多く残されています。
この茶碗も得意の枇杷色で、「雪崩」と呼ばれる前面の釉垂れも見られます。

十二世
髙麗左衛門
達雄(熊峰)
昭和二四~平成一六
井戸茶碗
絵付を得意とした十二世ですが、典型的な萩焼の様式の作にも同時に取り組んでいます。国宝喜左衛門井戸をかつて写す機会に恵まれたこともあり、形状からはその影響を感じられます。

十二世
髙麗左衛門
達雄(熊峰)
昭和二四~平成一六
陶彩櫛目茶碗
手捻りの楽風の茶碗に、十二世得意の陶彩を施した作です。
ところどころに櫛目が施され、自身の絵と、萩焼を如何に結びつけるかの模索、工夫が感じられます。

十三世
髙麗左衛門
純子(韓峯)
昭和二七~平成二六
茶碗
歴代唯一の女性当主である十三世は、襲名後三年で死去したため茶碗の作例は比較的少ないものの、手なりの大きさに、うっすらとピンクがかった窯変の出る、女性らしい作風を基調としていました。
その典型と言える作品です。