旧毛利藩 御抱
萩焼坂窯由来
坂家の歴史は、豊臣秀吉公の朝鮮出兵に端を発しています。
当家の家祖、即ち李敬は、兄とされる李勺光とともに、文禄・慶長の役の折に毛利輝元公に連れられ日本に渡りました。関ヶ原の戦ののち防長二州に封じられた毛利公に従い、彼ら陶工も萩に移り、俸禄ならびに薪山として唐人山を賜り、萩 松本の地に御用焼物所が設立されるにいたります。
坂助八と名前を改めた李敬は、寛永二年(1625年)に「髙麗左衛門」に任じられ、江戸期は毛利氏・萩藩の庇護のもと、代々 御用焼物師の任を全うしました。明治維新とともにこの任は失われますが、毛利公より拝領した萩焼開闢の地を坂家は守り続け、四百年に渡り萩焼窯元として作陶に勤しみ、今日に至っております。